LLMだけではAGIに届かない?ヤン・ルカン氏が語るワールドモデルの重要性

ヤン・ルカン氏は、なぜLLM中心のAI競争に距離を置くのか
いまのAI競争は、より大きな大規模言語モデル、より長いコンテキスト、より高性能なチャットボットをめぐって進んでいます。では、その延長線上に本当に人間のような知能はあるのでしょうか。
この問いに対して、長年一貫して「それだけでは足りない」と主張してきたのが、Metaの元チーフAIサイエンティストであり、チューリング賞受賞者でもあるヤン・ルカン氏です。Observerの記事では、ルカン氏がMeta退社後に関わる新会社Advanced Machine Intelligence、通称AMI Labsを通じて、現在のLLM中心のAI開発とは異なる道を進もうとしていることが紹介されています。
AMI Labsが目指すのは「ワールドモデル」
AMI Labsが掲げている中心的な考え方は、「ワールドモデル」です。これは、AIが単に次に来る単語を予測するのではなく、現実世界の状態を学び、ある行動を取ったときに何が起きるかを予測し、その予測をもとに計画できるようにするという発想です。
たとえば、人間はコップを落とせば割れるかもしれない、熱い鍋に触れれば危ない、部屋の奥にある物を取るには机を回り込む必要がある、といったことを、言葉だけでなく身体感覚や観察から学んでいます。ルカン氏が問題にしているのは、現在のLLMが主にテキストを通じて学習しているため、こうした世界理解や行動の結果予測を十分に扱えていないのではないか、という点です。
Observerの記事によると、AMI Labsは産業プロセス制御、自動化、ウェアラブル、ロボティクス、医療などの領域を応用先として見ています。つまり、チャット画面の中だけで完結するAIではなく、現実の環境や業務プロセスに関わるAIを視野に入れているということです。
これは急に出てきた話ではない
重要なのは、今回の主張が「最近になってLLMに批判的になった」という話ではないことです。ルカン氏は以前から、AIが人間や動物のように学び、推論し、計画するには、現実世界を抽象的に表現する仕組みが必要だと語ってきました。
2022年にMeta AIが公開したルカン氏の構想では、Hierarchical JEPAという考え方が示されました。これは、世界をさまざまな抽象度と時間スケールで捉え、将来の状態を予測しながら行動を計画するための枠組みです。Metaは2024年にもV-JEPAを公開し、動画から抽象的な表現を学ぶ物理世界モデルの初期例として説明しています。
その意味で、AMI Labsはルカン氏の以前からの研究思想を、スタートアップとして大きく進める試みと見ることができます。単なる「反LLM」ではなく、「LLMが得意なこと」と「知能に必要だがLLMだけでは弱いかもしれないこと」を分けて考える立場です。
なぜこのニュースが注目されるのか
現在のAI業界では、OpenAI、Google、Anthropic、Metaなどが巨大なLLMやマルチモーダルAIを競っています。そのなかで、ルカン氏の主張はやや異質です。彼は、LLMの能力を否定しているわけではありません。むしろ、コーディングや知識処理などで非常に強力であることは認めつつ、その先にある「現実世界を理解して行動するAI」には、別の設計思想が必要だと見ているのです。
この視点は、日本の読者にとっても関係があります。生成AIを業務に使う段階では、文章作成、要約、検索補助、コード生成といった用途が中心です。しかし、次の段階では、製造現場、物流、医療、介護、ロボット、スマートグラスなど、現実環境に接続されたAIが重要になっていく可能性があります。そこでは、言葉の流暢さだけでなく、状況を理解し、失敗を予測し、安全に計画する能力が問われます。
- LLMは言語やコードでは強力だが、物理世界の理解には課題が残る
- ワールドモデルは、行動の結果を予測するAIを目指す
- ロボティクス、医療、産業制御など、チャット以外のAI応用に関係する
- ルカン氏の主張は2022年から続くJEPA構想の延長線上にある
オープンなAIというもう一つの論点
記事では、技術アーキテクチャだけでなく、AIを誰がコントロールするのかという論点も扱われています。ルカン氏は、将来のAIアシスタントが少数のシリコンバレー企業や中国企業によって作られるだけでは、文化や民主主義にとって問題があると見ています。
この考え方は、AI AllianceのProject Tapestryにもつながっています。Project Tapestryは、各国・企業・大学などがデータや計算資源を提供しながら、主権性やローカルな価値観を保ったままオープンな基盤モデルを作ることを目指す取り組みです。
AIが検索、ニュース、教育、仕事の補助に深く入り込むほど、どの価値観や言語、文化を前提にしたAIなのかは重要になります。英語圏の大企業が作るAIをそのまま使うだけでよいのか。日本語や日本の制度、文化、産業構造に合ったAIをどう作るのか。これは日本にとっても無関係ではありません。
今後注目したい点
一方で、ワールドモデルがすぐにLLMを置き換えると見るのは早すぎます。AMI LabsのCEOも、基礎研究から始まる非常に野心的なプロジェクトであり、短期間で一般向け製品が出るタイプのスタートアップではないと説明しています。
今後注目したいのは、AMI Labsがどのような研究成果を公開するのか、実際の産業領域でどの程度使えるのか、そしてLLMとワールドモデルが競合するのか、それとも組み合わされていくのかという点です。
まとめ
今回のニュースは、ヤン・ルカン氏がLLM中心のAI競争に異議を唱えた、というだけの記事ではありません。むしろ、ルカン氏が以前から語ってきた「AIには世界を理解し、予測し、計画する仕組みが必要だ」という考え方が、AMI Labsという大型スタートアップを通じて具体化し始めた話です。
生成AIの進化を見るうえで、LLMの性能向上だけを追うのではなく、「AIは世界をどう理解するのか」「行動の結果をどう予測するのか」「誰がAIの基盤を握るのか」という視点を持つことが、これからますます重要になりそうです。