AIの「能力の使い残し」とは? イーサン・モリック氏が示す四つの人間の強み
AIについて語るとき、私たちは「次のモデルでは何ができるようになるか」を考えがちです。しかし、ペンシルベニア大学ウォートン校のイーサン・モリック氏は、すでに使えるAIの能力と、私たちが実際に使っている範囲の間にも、大きな隔たりがあると指摘します。2026年9月18日に公開した論考「The Overhang」の主題は、この「能力の使い残し」です。

今のAIで、どこまでできるのか
モリック氏は、文章だけで構成された古いゲーム「Zork」を3Dゲームに作り替えたり、作家ウンベルト・エーコの書斎を資料から3Dで再構成したりした例を紹介しています。自身の著書の予告映像をAIに制作させた際には、3D制作ソフトの操作や映像制作まで進めたといいます。
もちろん、これらは「指示を一度出せば、AIが完璧な作品を仕上げる」という話ではありません。モリック氏は題材を選び、出来上がったものの違和感に気づき、冗談を却下し、もっと映画らしい映像にするよう求めています。成果物に不備があることも認めています。それでも、以前なら複数の技能と相当な時間を要した制作を、一人の利用者がAIとともに試せるようになった点は見逃せません。
AIを使う人が持ち込む、四つの強み
モリック氏は、AIと働くうえで役立つ人間側の強みを四つに整理しています。
- 深い知識:自分の分野をよく理解し、もっともらしい誤りや不自然さを見抜く力。
- 広い知識:別の分野の考え方や方法を知り、AIに新しい方向を示す力。
- 審美眼:大量の案から、残すもの、捨てるもの、直すものを選ぶ力。
- 行動力:AIに何ができるかを、人から聞くのを待たず、自分で試す姿勢。
例えば、自社サイトをAIに作ってもらう場合を考えてみましょう。事業や顧客を深く知っていれば、説明の間違いや足りない情報に気づけます。デザインや文章について少し広く知っていれば、修正の方向を伝えられます。そして、複数案から自社に合うものを選び、実際に試すことで、単なる自動生成から一歩先へ進めます。
専門知識の価値は、消えるとは限らない
この考えに関連して、モリック氏はAnthropicの調査にも触れています。同社がClaude Codeの利用状況を分析したところ、対象となったコーディング作業では、利用者がその課題について持つ専門知識と、作業の成果に関連が見られました。ここでいう専門知識は、必ずしもプログラミングの知識だけではありません。「何を実現したいか」「どこを確認すべきか」を理解していることも含みます。
ただし、これはClaude Codeの利用データについての分析です。あらゆる仕事で同じ結果になると証明したものではありません。また、モリック氏の制作例も、本人の知識や試行錯誤があって成立しています。「AIを使えば、誰でも数週間分の仕事を短時間で終えられる」と一般化するのは慎重であるべきでしょう。
自分の仕事では、何を試せるか
中小企業や個人の仕事に引きつけるなら、最初から業務全体をAIに任せる必要はありません。よく知っている仕事から一つ選び、「時間がかかっていたため試せなかった案を作る」「資料を別の形で見せる」「複数案を比べる」といった使い方が考えられます。自分の知識がある分野なら、AIの間違いにも気づきやすくなります。
モリック氏の論考が投げかけるのは、AIにどこまで任せられるかだけではありません。AIが多くを作れるとき、人間は何を目指し、何を良いと判断し、どこを自分で確かめるのか。将来のAIを待つ前に、現在のAIを使う現場で考え始められる問いです。
出典:Ethan Mollick, “The Overhang”/Anthropic, “Agentic coding and persistent returns to expertise”