AIと著作権

AIと著作権(6)――AIで作った作品は誰のものなのか

ここまでの連載では、AIが他人の著作物を学習すること、既存作品を再現すること、作風を模倣すること、そしてAIによってクリエイターの仕事が減ることについて考えてきた。今回は少し視点を逆にして、AIを使って作ったものを、今度は誰が守ることができるのかを考えたい。

生成AIに文章を書かせる。画像を作らせる。音楽を生成する。その作品をブログやSNSに公開し、あるいは商品として販売する。では、それを誰かがそのままコピーして使ったとき、「これは私の著作物だから使わないでほしい」と言えるのだろうか。

直感的には、自分がAIに指示を出して作ったのだから自分のものだと思いたくなる。しかし、著作権法上はそれほど単純ではない。

現在の日本の基本的な考え方では、AIが自律的に生成したものは著作物には当たらない。一方、人間が自分の思想や感情を創作的に表現するための「道具」としてAIを使ったと認められる場合には、その生成物が著作物となり、AIを利用した人間が著作者となり得る。文化庁は、その判断において人間の「創作意図」と「創作的寄与」を見るとしている。

つまり、「AIが作ったものには著作権がない」という言い方も、「AIを操作した人に自動的に著作権が発生する」という言い方も、どちらも正確ではない。

生成ボタンを押しただけなら、誰の著作物でもない

最も分かりやすいのは、人間がほとんど何もしていない場合である。

画像生成AIに「猫の絵を描いて」と入力して生成ボタンを押したところ、偶然非常に美しい画像が出てきたとする。その猫の姿勢、背景、光の方向、毛の色、表情、構図などを人間が具体的に決めたわけではない。AIがそれらを決定して画像を生成した。

このような場合、文化庁は、人が何も指示しない、あるいは簡単な指示を与えるだけでAIが自律的に生成したものについては、人間が「思想又は感情を創作的に表現したもの」とはいえず、著作物には該当しないと整理している。

ここで重要なのは、「著作権がAIに移る」のではないということである。

現在の著作権法は、人間による創作を前提としている。AI自身が著作者となり、そのAIが著作権を所有するという仕組みにはなっていない。したがって、人間の創作的な関与が認められない純粋なAI生成部分については、「AIの著作物」になるのではなく、そもそも著作権による保護を受けないという方向になる。

これは意外に大きな意味を持つ。自分がAIサービスを使って生成した画像をウェブサイトに掲載したとしても、その画像が純粋なAI生成物で著作物性を持たないのであれば、誰かが同じ画像をコピーしたときに、著作権を根拠として差止めを求めることが難しくなる可能性がある。

では、長いプロンプトを書けば著作物になるのか

ここで次に出てくるのが、「それなら詳しいプロンプトを書けば自分の作品になるのではないか」という疑問である。

たとえば、「夕暮れの東京を背景に、30代の女性が駅のホームに立っている。カメラはやや低い位置から、逆光で、右側には古い時計があり……」と非常に細かく指定したとする。文章であれば、登場人物、設定、章構成、語り手、場面、台詞の内容まで詳しく指示することもできる。

当然、単に「猫を描いて」と頼む場合よりは、人間の意図が強く反映されている。

しかし、プロンプトが何文字以上なら著作権が発生するといった基準があるわけではない。文化庁も、人間による「創作的寄与」があるかどうかについては、入力だけではなく、AIを使用して結果を得るまでの一連の過程を総合的に評価する必要があるとしている。具体的にどこまで関与すれば著作物になるかについては、個別の事例によって判断される。

つまり、重要なのはプロンプトの長さではなく、人間が最終的な表現形成にどこまで創作的に関与したかである。

非常に長いプロンプトを書いていても、最終的な構図や表現をほとんどAI任せにしている場合もある。一方、比較的短い指示から始めても、生成された結果を見ながら何度も修正し、構図を変え、表現を調整し、不要な部分を書き直し、最終的な形を作り上げていく場合もある。

単純に文字数だけでは測れないのである。

何度も生成して選ぶことには意味があるのか

生成AIを実際に使うと、一度の指示で完成することはむしろ少ない。画像なら何枚も生成し、その中から一枚を選ぶ。そこから人物の位置を変え、背景を修正し、さらに生成し直す。文章であれば、「ここは違う」「この人物はこう考えるはずだ」「この部分をもっと短く」「この説明はいらない」と修正を繰り返していく。

こうした一連の作業がどこまで「創作的寄与」と評価されるかは重要である。

文化庁は以前から、コンピューターを使った創作について、システムの選択、データの入力、出力結果の吟味や修正、さらに複数の出力の中から最終的なものを選択して固定するといった一連の行為を総合して判断するという考え方を示している。AI生成物についても、生成物の選択などを含む関与によって創作性が認められる可能性が指摘される一方、単にパラメータを設定しただけでは創作的寄与とはいえないのではないかという議論もあり、具体的な境界は現在も事例ごとに判断されるものとされている。

これは私自身が文章生成AIを使う感覚からも、かなり重要な区別だと思う。

たとえば、小説について「宇宙を舞台にした物語を書いて」とAIへ頼み、出てきた文章をそのまま公開することと、自分で世界観や人物を作り、物語の方向を決め、AIが書いた文章に対して何度も修正を求め、自分でも文章を書き換えながら最終的な作品を作ることは、同じ「AIで小説を書いた」という言葉では表せない。

後者では、AIは文章を出力する装置ではあっても、何を書くか、何を残すか、何を削るかという判断を人間が積み重ねている。その積み重ねが創作的な表現形成に結び付いていれば、AIを道具として使った人間の著作物と評価される可能性は高くなる。

AIの文章を人間が書き直した場合

さらに分かりやすいのが、人間がAI生成物へ直接手を加える場合である。

文化庁の現在の著作権テキストでは、人間がAI生成物に創作的表現といえる加筆や修正を加えた部分については、通常、著作物性が認められると整理されている。

たとえばAIが1000文字の文章を生成し、それを材料として人間が構成を変更し、文章を書き換え、独自の説明や比喩を追加したとする。その場合、少なくとも人間が創作的に書き加えた部分については著作権による保護を受ける可能性が高い。

ただし、ここで少し面白い問題が起きる。

一つの作品の中に、人間が書いた部分とAIが自律的に生成した部分が混在することがあり得るからである。

その場合、「作品全体がすべて同じように著作権で保護される」とは限らない。人間による創作的な部分には著作権が認められても、人間の関与がない純粋なAI生成部分までは同じように保護されない可能性がある。

米国著作権局も2025年に公表した報告書で、純粋にAIが生成した部分には著作権を認めない一方、人間が創作した部分、AI生成物を創作的に選択・配置した部分、あるいは人間が創作的に修正した部分については保護され得るという整理を示している。現在一般に利用できる生成AIについては、プロンプトを与えることだけでは、出力される具体的な表現を十分にコントロールしたとは通常いえないという立場も示している。

日本と米国では法律も制度も同じではないが、「AIを使ったかどうか」ではなく、人間がどの表現を作ったのかを見るという方向には共通する部分がある。

AIを使えば著作権が弱くなる、という話でもない

この話をすると、「それならAIを使わない方が安全なのではないか」という結論になりやすい。しかし、そう単純でもない。

写真家はカメラを使う。小説家はワープロを使う。デザイナーはPhotoshopやIllustratorを使う。音楽家はシンセサイザーやDAWを使う。コンピューターが制作過程へ入ったからといって、その作品が著作物でなくなるわけではない。

AIも同じく、人間の創作を補助する道具として使われる限り、それを利用したこと自体によって著作権が否定されるわけではない。米国著作権局も、AIが人間の創作を補助する道具として使われているだけなら、そのこと自体は作品の著作権保護を妨げないとしている。

問題になるのは、作品の具体的な表現を誰が決めたのかである。

人間が表現を決定し、その実現のためにAIを使っているのであれば、AIは道具に近くなる。一方、「何か格好いいものを作って」と頼み、AIが作ったものをそのまま採用したのであれば、具体的な表現を決めたのは人間ではない。

もちろん、この二つの間には無数の段階がある。そして現実の生成AI利用の多くは、その中間にある。

AIを使った小説は誰の作品なのか

文章について考えると、この問題はさらに興味深い。

たとえば、小説の設定、登場人物、世界観、プロットをすべて自分で考えたうえで、AIに一部の文章を提案させる。その文章を読み、自分の人物像に合わなければ却下し、台詞を変更し、場面を入れ替え、文章を自分の言葉へ書き直す。さらに先の展開を自分で決めながら、AIとのやり取りを何十回、何百回と繰り返して一本の小説を完成させたとする。

この場合、「AIが小説を書いた」とだけ表現するのは適切ではないだろう。

逆に「恋愛小説を書いて」と一度入力し、AIが生成した数万文字をほとんど確認も修正もせず、そのまま自分の名前で出版したとすれば、人間の創作的寄与をどこまで認められるかはかなり違う問題になる。

つまり、AIを何パーセント使ったかという量の問題ではない。

人間が作品の表現形成にどのような役割を果たしたかという質の問題である。

私はここに、今後の創作にとってかなり重要な意味があると思っている。AIが非常に高性能になっても、人間が作品の方向を決め、選択し、修正し、意味を与えるのであれば、人間の創作は消えるわけではない。むしろ一人の人間が扱える表現手段が増えるとも考えられる。

「誰のものか」と「他人の作品を使ってよいか」は別問題である

もう一つ注意しなければならないのは、自分のAI生成物に著作権が認められることと、その作品が他人の著作権を侵害していないことは別問題だということである。

自分が非常に細かい指示を出し、何度も修正して作ったため、人間の創作的寄与が認められたとする。それでも、その完成品が既存の著作物に類似し、それに依拠しているのであれば、既存作品の著作権を侵害する可能性は残る。文化庁も、AI生成物について著作物性があるかどうかと、既存著作物の著作権を侵害するかどうかは別々に判断する必要があるとしている。

これは人間だけで作品を作った場合と同じである。自分なりの創作性があるからといって、他人の作品を無断で翻案してよいわけではない。

AIを使った作品については、「これは私の著作物か」という問いと、「これは他人の著作権を侵害していないか」という問いを、二つに分けて考える必要がある。

誰でも使えるAI生成物が大量に生まれる可能性

そして、この問題にはもう一つ興味深い側面がある。

人間の創作的寄与が認められない純粋なAI生成物に著作権が発生しないのであれば、今後、著作権によって独占されていない画像、文章、音楽などが大量に生まれる可能性がある。

誰かがAIで一枚の画像を生成して公開した。その画像自体に著作権が認められなければ、別の人が同じ画像を使ったとしても、少なくともそのAI生成画像についての著作権を理由として禁止することは難しくなる。

一方、人間がその画像を素材として大幅な加工を加え、新しい表現を作れば、その人間による創作部分には著作権が生まれる可能性がある。

これは、これまでの著作物中心の文化とは少し違う世界を作るかもしれない。

著作権のある作品と、著作権のないAI生成物と、人間とAIが共同で作った著作物が、同じインターネット上に大量に混在するようになる。その外見だけを見て、どれがどのような制作過程で作られたものか判断することは難しい。

だからこそ、AIを使って商業的な作品を制作する人にとっては、制作過程をある程度記録しておくことも意味を持つようになるだろう。どのような指示を出し、どのような出力を選び、どこを修正し、最終的な表現をどのように作ったのか。それが後になって、人間による創作的寄与を説明する材料になる可能性がある。

AI時代でも、問われるのは人間が何を創作したか

AI生成物の著作権について考えると、「AIを使ったか、使っていないか」という二択にしたくなる。しかし、現在の制度はむしろ、そのような考え方をしていない。

AIが自律的に作っただけなら、原則として著作物ではない。人間が創作意図を持ち、AIを道具として使い、具体的な表現形成に創作的に関与したのであれば、人間の著作物になり得る。そして、人間がAI生成物へ創作的な加筆や修正をした場合には、その人間による部分は著作権で保護され得る。文化庁の現在の整理も、この人間による「創作的寄与」を中心としている。

私は、この考え方は比較的自然だと思う。

AIを使ったというだけで作品を著作権の外へ追い出す必要はない。一方で、生成ボタンを押しただけで、AIが決めたすべての表現について独占権を与える必要もない。

重要なのは、誰がボタンを押したのかではなく、誰が作品を作ったのかである。

そしてこれからAIがさらに高度になれば、この境界線はもっと難しくなる。AIが人間の意図を非常に正確に理解し、細部まで思い通りに表現できるようになれば、プロンプトや対話による指示そのものが、現在よりも強い創作的なコントロールと評価される可能性もある。一方で、AIがほとんどすべてを自律的に作るようになれば、人間の関与は逆に小さくなるかもしれない。

結局、技術が変わっても中心に残る問いは同じなのだと思う。

その作品の中に、人間の創作がどこにあるのか。

次回は、この連載を一度まとめる形で、「AI時代に著作権は何を守るべきなのか」を考えたい。既存作品そのものは守る。学習や作風まで無条件に独占させることはしない。AIによって仕事が失われる問題は著作権とは分けて考える。そしてAIを使った新しい創作についても、人間による創作的な部分は守る。ここまで扱ってきた問題を並べたうえで、AI時代の著作権の境界線を考えてみたい。

2026年8月10日 2:44 AM   投稿者: M.A.   カテゴリー: AI, 著作権

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