AIと著作権

AIと著作権(2)――AIによる「完全な著作権侵害」とは何か

前回は、AIと著作権をめぐる問題を、「盗作」「学習」「模倣」「仕事の代替」に分けて考えた。今回は、その中でも最も分かりやすいはずの、既存の作品をAIによって再現してしまう問題について考えたい。

ここでいう「完全な著作権侵害」は、法律上の正式な用語ではない。既存の絵や文章、音楽、プログラムコードなどを、そのものずばり、あるいは少し手を加えただけの形で生成し、それを利用する場合を分かりやすく表現したものである。AI学習が許されるか、作風は誰のものか、人間の学習と機械学習は同じかといった問題には、立場によって大きな意見の違いがある。しかし、他人の作品をほとんどそのまま出し、自分のものとして公表するのであれば、議論はかなり単純になる。

AIで作ったからといって、盗作が盗作でなくなるわけではない。

AIは著作権侵害の免罪符にはならない

既存の絵を画像生成AIに読み込ませ、人物の服だけを変える。背景の色だけを変える。文章を入力し、単語や語尾を少し置き換える。既存の楽曲に似た旋律を作らせ、楽器だけを変更する。公開されているプログラムコードをAIに出力させ、変数名だけを変えて自分が書いたものとして使う。こうした行為は、AI以前から存在した複製、改変、盗作の延長にある。

AIが間に入ると、なぜか責任の所在が曖昧になったように感じられることがある。自分で線をなぞったのではなく、AIが生成した。自分で文章を書き写したのではなく、AIが出力した。自分はただ指示を出しただけで、どのような計算によってその結果が出たのかは分からない。だが、コピー機を使ったから複製した人間の責任がなくなるわけではないのと同じで、AIという道具を介したことによって、既存作品との関係が消えるわけではない。

日本の著作権法上、AI生成物による侵害について、AIだけに適用されるまったく新しい基準が設けられているわけではない。基本的には、人間がAIを使わずに作品を作った場合と同じように、既存の著作物との「類似性」と「依拠性」が認められるかによって判断される。文化庁も、生成・利用段階では、生成行為やインターネットへの掲載などが既存著作物の複製や公衆送信等に当たる可能性があり、従来の著作権侵害と同様に考える必要があると整理している。(bunka.go.jp)

「似ている」だけではなく、何が似ているのか

著作権侵害を考えるとき、単に二つの作品が似ているというだけでは足りない。たとえば、夕焼けを背景に人物が立っている絵は無数にある。男女が出会い、別れ、再会する小説も無数にある。四つのコードを繰り返す楽曲も珍しくない。ログイン画面を表示するプログラムも、機能としては似たものになりやすい。

著作権が保護するのは、題材や発想そのものではなく、それをどのように具体的に表現したかという部分である。そのため問題になるのは、既存作品の「表現上の本質的な特徴」を、生成物から直接感じ取れるかどうかである。人物の配置、形状、線、色彩、装飾、文章の具体的な言い回し、場面の描写、旋律、コードの具体的な記述など、作者による創作的な表現がどの程度引き継がれているかを、個別に見ていくことになる。(bunka.go.jp)

この判断は、画像を横に並べて何パーセント一致しているかを機械的に測れば済むものではない。一部分だけが違っていても、作品の中心となる表現がそのまま残っていれば、問題になる可能性がある。反対に、題材や雰囲気は近くても、具体的な表現が異なっていれば、直ちに著作権侵害になるわけではない。

ここは、次回以降に扱う「作風」の問題ともつながる。ある作家を思わせる色使いや線があることと、特定の一枚の絵を再現していることは同じではない。しかし、作風という言葉を隠れ蓑にして、実際には元の作品の構図や人物、背景、小物まで再現しているのであれば、それは単なる作風の模倣では済まない。

もう一つの条件である「依拠性」

著作権侵害には、類似性だけでなく依拠性も必要になる。依拠性とは、簡単に言えば、既存作品を踏まえて新しい作品が作られたという関係である。

人間が作品を作る場合には、その作者が元の作品を知っていたか、その作品を見る機会があったか、二つの作品が偶然とは考えにくいほど似ているかといった事情から、依拠性が判断されてきた。生成AIの場合にも、利用者が元の作品を知ったうえで、AIを使ってその創作的表現を再現させたのであれば、依拠性は認められやすい。

分かりやすいのは、既存の画像そのものを生成AIに入力する場合である。「この画像をアニメ風にしてほしい」「この人物の服だけ変えてほしい」「背景を夜にしてほしい」と指示し、元画像の中心的な表現を残したまま生成するのであれば、利用者が元作品を知らなかったという説明は成り立たない。文化庁も、Image to Imageのように既存作品を入力する場合や、特定作品の題名などを入力して生成する場合を、利用者が既存作品を認識していたケースの例として挙げている。(bunka.go.jp)

一方で、利用者が元の作品を知らなかったにもかかわらず、AIが学習データに含まれていた作品と非常によく似たものを出力する可能性もある。文化庁の整理では、生成AIがその作品を学習しており、類似した生成物が出た場合には、利用者自身が作品を知らなくても、客観的に作品への接触があったとして、依拠性が推認される可能性がある。反対に、利用者も作品を知らず、生成AIの学習データにもその作品が含まれていなかったのであれば、似ていても偶然の一致として、依拠性が否定される可能性がある。(bunka.go.jp)

この点は、人間による盗作よりも生成AIの方が複雑である。利用者が知らない作品をAIが知っているかもしれないからである。生成ボタンを押した人間に盗作の意図がなくても、出力されたものが既存作品を再現している可能性は残る。

絵では「少し変えたから別作品」にはならない

画像生成AIでは、著作権侵害が視覚的に分かりやすい。元のイラストを入力し、髪の色、服装、背景などを変更しても、人物の姿勢、構図、表情、光の当たり方、小物の配置まで共通していれば、元作品の特徴はそのまま残る。

これは、他人の絵をトレースして一部だけ描き変える行為と、本質的には大きく変わらない。AIが線を引き直したため、ピクセル単位では一致しないとしても、それだけで別の作品になるわけではない。著作権が問題にするのはデータの完全一致ではなく、創作的な表現が再現されているかどうかだからである。

また、元作品を直接入力しなくても、「この作品と同じ構図で」「このキャラクターをこの場面に置いて」「背景と服だけ変えて」といった指示を繰り返し、意図的に元作品へ近づけていけば、結果は同じである。何度も生成し、元作品に最も似たものを選んだのであれば、それはAIが偶然出したというより、利用者がAIを使って再現したと考える方が自然だろう。

ただし、人気のある題材やありふれた構図が似ているだけで侵害になるわけではない。人物が机に向かって文章を書いている、街の上空に巨大なAIの頭部が浮かんでいる、天秤に著作権記号が載っているといったアイデアだけを独占することはできない。どこまでが題材で、どこからが具体的な表現かを分ける必要がある。

文章の盗作は、言い換えれば消えるのか

文章では、画像よりも問題が見えにくい。私は小説やそれ以外の文章を書くが、文章をそのままコピーされた場合だけが盗作だとは思わない。語尾や単語を機械的に置き換えただけで、段落の順序、論理の展開、具体例、比喩、特徴的な言い回しまで同じであれば、元の文章の表現が残っている可能性がある。

たとえば他人の記事をAIに入力し、「内容を変えずに別人が書いたようにしてください」と指示する。小説を読み込ませ、「登場人物の名前と舞台だけ変えて書き直してください」と依頼する。元の台詞や場面の運びを保ったまま、文体だけを変更させる。これらは、AIによって新しい文章を作ったように見えても、実際には既存作品を変形させているだけかもしれない。

もちろん、同じ出来事を扱った記事が似た構成になることや、同じジャンルの小説に共通する展開があることまでは避けられない。事実、アイデア、一般的な筋書き、文章作法そのものは、特定の作者が独占できるものではない。しかし、元の文章にしかない説明、比喩、台詞、場面描写、独自の展開まで維持したまま言葉だけを置き換えるのであれば、「AIに書き直させた」という説明によって問題が消えるわけではない。

AIによる要約も、常に著作権侵害になるわけではない。内容を自分の言葉で簡潔に整理することと、元の文章を大量に再現することは違う。だが、「要約」という名前を付ければ長い引用や文章の再現が無条件に許されるわけでもない。何という機能を使ったかではなく、最終的にどのような表現が出力され、それをどのように利用したかが問題になる。

音楽やプログラムコードでも同じである

音楽でも、AIに既存曲を聞かせ、旋律や構成を残したまま編曲だけを変えるのであれば、著作権の問題が生じる可能性がある。楽器をギターからピアノに変えた、テンポを遅くした、歌声を変えたというだけで、元の旋律が別のものになるわけではない。

ただし、ジャンル、テンポ、使用楽器、一般的なコード進行などが似ているだけで、直ちに侵害になるわけではない。音楽にも、具体的な表現と一般的な様式の区別がある。ある時代のロックらしい音、バラードらしい構成、ジャズで頻繁に用いられる和声まで、誰か一人が独占できるものではない。ここでも、既存曲の具体的な表現を再現したのか、それとも同じ音楽的な語彙を使って別の曲を作ったのかを見なければならない。

プログラムコードも同様である。目的や機能、アルゴリズムの発想が同じであることと、具体的なソースコードがコピーされていることは別の問題である。AIが公開リポジトリなどに存在するコードを長いまとまりで出力し、利用者がそれを自作コードとして組み込めば、著作権やライセンスの問題が生じる可能性がある。変数名やコメントを少し変更しても、コードの具体的な記述がほぼ同じなら、それだけで問題がなくなるわけではない。コンピュータプログラムも著作物として扱われ得ることは、文化庁の制度上も明確にされている。(bunka.go.jp)

特にオープンソースのコードは、公開されているから自由に無条件で使えるというものではない。定められたライセンスに従うことで利用が認められている。AIが出力したという理由だけで、元のライセンス表示や条件を無視してよいことにはならない。

生成しただけの場合と、公表・販売した場合

AIで侵害物に当たり得るものが生成されたとしても、その後に何をしたかによって問題は変わる。自分の端末内で個人的に生成した場合と、それをウェブサイトやSNSに掲載した場合、広告に使った場合、商品として販売した場合では、著作物の利用方法が異なる。

日本の著作権法には私的使用などの権利制限規定があるため、一定の範囲で個人的に複製することが認められる場合がある。しかし、生成時の行為が権利制限の範囲内であったとしても、その生成物を第三者へ譲渡したり、インターネット上で公衆に送信したりすれば、別の利用行為として著作権侵害になる場合がある。文化庁も、生成とその後の利用は別々に判断されると明示している。(bunka.go.jp)

したがって、「AIで一度生成できたから使ってよい」ということにはならない。生成サービスが出力を許したことと、著作権者がその利用を許諾したことも同じではない。AIサービスの利用規約で商用利用が認められていたとしても、それは通常、第三者の著作権を侵害する生成物まで合法にするものではない。

作品をブログに掲載する、書籍に収録する、広告に使う、顧客へ納品するという段階では、利用者自身が権利上の問題を確認しなければならない。特に元作品を参照させた場合や、既存作品に非常によく似ていると自分でも認識できる場合には、「AIが作ったので分かりませんでした」という説明は通りにくいだろう。

知らなかったとしても、何も起こらないとは限らない

AIが偶然、利用者の知らない作品に似たものを生成した場合、利用者に盗作の意図がなかったということはあり得る。しかし、意図がなければ必ず著作権侵害が成立しないというわけではない。

文化庁の整理では、類似性と依拠性が認められて侵害となった場合、差止請求は侵害者の故意や過失がなくても可能とされている。一方、損害賠償には故意または過失が必要であり、刑事罰には故意が必要になる。利用者が元の作品を本当に知らず、注意しても気づけなかったのであれば、損害賠償や刑事責任まで問われない可能性はあるが、生成物の公開停止や廃棄を求められる可能性は残る。(bunka.go.jp)

これは当然の区別だと思う。知らずに他人の作品と酷似したものを作ってしまった人間と、元作品を入力して意図的に似せた人間を、まったく同じように扱うべきではない。しかし、権利者の側から見れば、意図の有無にかかわらず、自分の作品を再現したものが公開され続ければ被害は生じる。そのため、故意がなくても利用の停止を求める仕組みが必要になる。

利用者にできることは、既存作品との類似に気づいた段階で、そのまま公表しないことである。特定の画像や文章、音楽を参照させた場合には、元作品の表現がどの程度残っているかを確認する。顧客に納品する場合には、AIで作ったというだけで独自性を保証しない。少なくとも、人間が見て明らかに何かと似ているものを、「AIが出したから」と無確認で利用するべきではない。

AI利用者だけが責任を負うのか

通常、生成物を作り、公開し、販売した利用者は、その利用について責任を負う立場になる。しかし、どのような場合でもAI利用者だけが責任を負い、AIの開発者やサービス提供者には何の責任もない、と決まっているわけではない。

たとえば、特定作品の複製物が高い確率で生成されるようなモデルを作り、そのことを認識しながら対策を取らなかった場合や、侵害物の生成を主要な目的とするようなサービスを提供していた場合には、開発者や提供者が著作権侵害の主体または幇助者として責任を問われる可能性がある。文化庁のガイダンスでも、学習データと類似したものの生成を防止する技術的措置、学習データの出所や学習過程の記録、侵害が起きた場合の停止や再発防止策などが、開発者や提供者のリスク低減策として示されている。(bunka.go.jp)

一方、一般的な用途の生成AIを使って、利用者が意図的に既存作品を再現させたのであれば、まず利用者の行為が問題になるだろう。包丁を作った企業が、包丁を使ったすべての行為に責任を負うわけではないのと同じで、道具を提供したというだけで、あらゆる結果の責任を負わせることも適切ではない。

結局のところ、利用者、サービス提供者、モデル開発者の誰が、侵害物の生成を意図し、制御し、予防できたのかを具体的に見なければならない。AIが自動的に動いたというだけで、すべての人間の責任が消えるわけではない。

難しい問題の前に、明白な侵害を明白だと認める

AIと著作権には、簡単には答えの出ない問題が多い。学習のために公開作品を収集することは許されるのか。作家の名前を使って作風を再現することはどう考えるべきか。AI企業が作品を学習して利益を得るなら、作者へ対価を支払うべきか。技術革新によって仕事を失う人々を、社会はどのように支えるべきか。これらは今後も長く議論されるだろう。

しかし、難しい問題が存在するからといって、すべての境界線が曖昧になるわけではない。他人の作品を入力し、その表現を残したまま少し変え、自分の作品として公表する。元の文章をAIに言い換えさせ、自分が書いた記事として公開する。既存の曲やコードをほとんどそのまま出力させ、出典や権利関係を無視して利用する。こうした行為まで、「AI時代だから仕方がない」として認める必要はない。

私は、AIによる学習そのものについては、かなり広く認めざるを得ないと考えている。しかし、それは、出力されたものに責任を負わなくてもよいという意味ではない。学習と複製は違う。影響を受けることと、作品を再現することも違う。新しい技術によって同じ仕事ができるようになることと、他人の成果物を自分のものとして使うことも違う。

AIは新しい創作の道具になり得るが、同時に、これまでより速く、大量に、盗作や無断改変を行う道具にもなり得る。だからこそ、AIを特別扱いするのではなく、既存作品の具体的な表現を再現したなら、その生成と利用に責任を負うという、従来からの原則を維持する必要がある。

次回は、作品が作られる前の段階へ戻り、AIが著作物を収集し、学習すること自体は著作権侵害なのかを考えたい。公開されたウェブ上の作品、有料コンテンツ、海賊版、データセット、そして日本の著作権法第30条の4がどこまで認めているのかを分けて整理する。

2026年8月6日 1:21 AM   投稿者: M.A.   カテゴリー: AI, 著作権

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