AIと著作権

AIと著作権(3)――AIが著作物を学習することは侵害なのか

前回は、AIによって既存の作品をそのまま、あるいは少し変えただけの形で出力する場合について考えた。今回は、その一つ前の段階に戻りたい。AIが文章や画像、音楽、プログラムコードなどを学習すること自体は、著作権侵害なのだろうか。

この問題については、「インターネットに公開した以上、学習されても仕方がない」という意見と、「許可なく学習すること自体が盗みである」という意見が、正面からぶつかっている。しかし、ここでも異なる問題が一つにまとめられている。一般公開された作品を分析すること、有料で販売されているデータベースを無断で複製すること、アクセス制限を回避すること、海賊版サイトから作品を集めること、特定の作品を再現するために追加学習を行うことは、すべて同じではない。

私は、一般に公開された作品から、AIが作風や文章の構造、言葉の使い方、構図、色彩、音楽的な規則性などを学習することまで、著作者が全面的に禁止できるとは考えていない。人間であれAIであれ、公表された作品が他者の学習や新しい技術の材料になることは、ある程度やむを得ないと思っている。

しかし、それは「ネットにあるものは何でも自由に持っていってよい」という意味ではない。どのように取得したのか、何のために学習したのか、学習した結果として何を出力できるようにしたのかによって、問題は変わる。

AIは作品を「見る」だけでは学習できない

人間は小説を読み、絵を見て、音楽を聴くことで、そこから何かを学ぶ。通常、その人の頭の中で何が起きているかについて、著作権法が直接介入することはない。

これに対してAIの学習では、作品をコンピューターへ取り込み、データとして複製し、形式を整え、学習に利用できる状態へ加工することがある。ウェブ上の文章や画像を自動的に収集し、データセットを作成し、そのデータをモデルへ入力する。最終的な学習済みモデルに元の作品がファイルとしてそのまま格納されるとは限らないが、学習に至る過程では、著作権法上の「複製」に該当し得る行為が発生する。

したがって、AIが人間と同じように「見て学んでいるだけだ」と説明しても、法律上の問題はそれだけでは終わらない。人間の頭の中で起きる学習と、企業や研究者が大量の著作物をコンピューターへ複製して行う機械学習では、技術的な過程が違うからである。

ただし、複製が行われたからといって、必ず著作権侵害になるわけでもない。著作権法には、著作権者の許可を得なくても著作物を利用できる場合が定められている。日本でAI学習を考える際に中心となるのが、著作権法第30条の4である。

日本ではAI学習が比較的広く認められている

著作権法第30条の4は、著作物に表現された思想や感情を人が鑑賞することを目的としない場合に、一定の範囲で著作物を利用できるとする規定である。AI学習を含む情報解析は、その代表的な利用方法として扱われている。

文化庁は、AI学習用データの収集などのために行われる著作物の複製には、原則として第30条の4が適用され、著作権者の許諾を必要としないと整理している。ただし、学習という名前が付いていれば無条件に適用されるわけではない。作品を鑑賞させる目的が含まれている場合や、著作権者の利益を不当に害する場合には、この規定が適用されない可能性がある。(bunka.go.jp)

この規定があるため、日本では、一般公開された大量の文章や画像を使って、言語の規則性や画像の特徴を学習させることは、比較的広く認められている。営利企業による学習だから直ちに対象外になるわけでもない。

これは、著作者から見れば納得しにくい制度かもしれない。自分が時間をかけて書いた文章や制作した作品が、世界的な企業のAI開発に利用され、その企業が大きな利益を得ても、自分には何の連絡も対価もない。その状況を公平ではないと感じることは理解できる。

しかし、現在の日本法は、利益を得る企業が利用したかどうかだけではなく、著作物の具体的な表現を鑑賞させるために利用したのか、それとも情報解析のために利用したのかを重視している。商業利用であることと、著作権侵害であることは同じではない。

「非享受目的」とは何か

第30条の4を理解するために重要なのが、「享受」という言葉である。これは大まかに言えば、著作物に表現された内容を、人が読んだり、見たり、聴いたりして味わうことを意味する。

たとえば、小説を読者に読ませるために複製するのであれば、小説の表現を享受させることが目的になる。絵を鑑賞させるためにウェブサイトへ掲載する場合も同じである。一方、大量の文章から単語の関係や文法的な傾向を分析するためにコンピューターへ入力する場合、その中心的な目的は、人間に文章を読ませることではなく情報解析にある。

これが「非享受目的」と呼ばれる考え方である。

ただし、学習の最終的な目的が、元の作品の表現を再び出力することなら話は変わる。たとえば、一冊の小説を学習させ、その文章を長い範囲で再現できるようにする。特定の漫画家の少数の作品だけを追加学習させ、元作品の人物や構図を出力させる。特定のイラストを意図的に過学習させ、ほぼ同じ画像を何度でも生成できるようにする。この場合、単に作品の特徴を解析するだけでなく、作品の具体的な表現を利用者に提供する目的が含まれている可能性がある。

文化庁も、学習データに含まれる著作物の創作的表現を出力させることを目的とする意図的な過学習や、特定のクリエイターの少数の作品だけを用いた追加学習については、「享受目的」が併存し、第30条の4が適用されない場合があるとしている。(bunka.go.jp)

つまり、一般的な能力を持つAIを作るための学習と、特定の作品を再現する装置を作るための学習は、同じではない。

公開されている作品なら自由に使えるのか

インターネット上で誰でも見られる作品は、著作権を放棄した作品ではない。ウェブサイトに掲載された小説や写真、イラストを、作者に無断で再掲載したり、商品として販売したりすれば、通常は著作権の問題が生じる。

それでも、公開された作品をAI学習のために収集する場合、日本では第30条の4が適用される可能性がある。ここで重要なのは、「公開されているから著作権がない」のではなく、「著作権は存在するが、情報解析という目的のために権利が制限される場合がある」ということである。

私は、この区別は必要だと思う。公開した作品が自由利用物になるわけではない。しかし、公表された文章を人間が読み、そこから文章の書き方を学ぶことまで制限できないのと同様に、AIによる一般的な学習についても、著作者が永続的かつ全面的な拒否権を持つことは難しい。

作品そのものをコピーして販売する権利と、その作品から誰も何も学ばないようにする権利は、同じものではない。著作権が後者まで保障する制度になれば、過去の作品から学んで新しいものを作るという、文化そのものの循環が成り立たなくなる。

ただし、人間が数十冊の小説を読んで学ぶことと、企業が数百万冊を短期間で収集し、それらの作者と競争する製品を作ることには、規模も経済的影響も大きな違いがある。この違いを無視して「人間も学習する」で終わらせるべきではない。だが、その問題をすべて著作権侵害として処理するべきかは、また別の話である。

有料コンテンツや限定公開作品は同じではない

誰でも閲覧できるウェブページと、料金を支払わなければ入手できないデータベースは同じではない。電子書籍、新聞の有料記事、会員制サイト、画像素材サービス、研究論文のデータベースなどは、利用者が契約を結び、一定の条件のもとでアクセスしている。

特に、AI学習用データセットとして販売されているデータベースを無断で複製する場合には、第30条の4のただし書にある「著作権者の利益を不当に害する場合」に該当し、許諾なしで利用できない可能性がある。文化庁は、AI学習用として有償提供されているデータベース著作物を無断で複製する場合を、その具体例として挙げている。(bunka.go.jp)

これは当然だと思う。AI学習のために販売されているデータを、「AI学習だから無断で使える」として複製できるのであれば、その商品は成立しない。著作権法が情報解析を認めているからといって、情報解析用の商品を無償で取得する権利まで与えているわけではない。

一方で、一般の読者向けに販売されている小説や画像集を、正規に購入した企業がAI学習に利用する場合は、それだけで結論が決まるとは限らない。作品へのアクセス方法、利用契約、技術的制限、利用目的、学習後の出力などを分けて考える必要がある。

「有料作品だから絶対に学習できない」と単純化することも、「一冊購入したから何百万回でも自由に複製して学習できる」と考えることも、どちらも極端である。

robots.txtを書けば学習を禁止できるのか

ウェブサイトの運営者は、robots.txtというファイルなどを使い、自動収集プログラムであるクローラーに対して、特定のページを収集しないよう示すことができる。また、IDやパスワードによって閲覧自体を制限することもできる。

しかし、robots.txtにAI学習を拒否すると書けば、それだけで新しい著作権が生まれ、あらゆる学習を法的に禁止できるというわけではない。robots.txtは、基本的にはクローラーに対する技術的、機械可読的な指示である。

それでも、こうした制限を無視してよいことにはならない。文化庁は、IDやパスワードによるアクセス制限、robots.txtなどによる収集制限を尊重するよう求めている。さらに、技術的な制限や過去の販売実績などから、AI学習用データセットとして有料提供する予定が推認できる場合、それを回避して収集すれば、第30条の4が適用されない可能性があるとしている。(bunka.go.jp)

つまり、robots.txtだけで絶対的な学習禁止権が成立するわけではないが、それを意図的に無視した事実は、データの取得方法や著作権者の利益を判断するうえで無関係ではない。

個人的には、一般公開した作品について学習そのものを全面的に拒否できる制度には慎重である。しかし、アクセス制限を破り、契約を無視し、取得を拒否していることを理解したうえでデータを持ち出す行為まで、「学習の自由」で正当化するべきではないと思う。

海賊版から学習する場合

さらに問題になるのが、海賊版サイトである。小説、漫画、映画、音楽、画像などが、権利者の許可なくアップロードされているサイトから、AI学習用のデータを収集する場合である。

これは、作者自身が作品を一般公開した場合とは明らかに違う。作品を公開したのは作者でも出版社でもなく、第三者が違法に複製している。学習する側が直接その海賊版をアップロードしたわけではないとしても、海賊版と知りながら大量に利用すれば、違法な流通を前提として自社の製品を作ることになる。

文化庁のガイダンスは、海賊版と知りながら学習データの収集源にすることを厳に慎むべきだとし、そのデータを使ったAIが著作権侵害を起こした場合には、AI開発者も責任を問われる可能性があるとしている。ただし、海賊版がデータセットに含まれていたという事実だけで、あらゆる学習行為が直ちに違法になると一律に整理しているわけではない。(bunka.go.jp)

この点は、現在の制度の分かりにくい部分である。一般公開された正規作品を解析することと、海賊版サイトから作品を集めることが、結果として同じ第30条の4の議論に入るように見えるため、「日本では海賊版から学習しても合法なのか」という批判が起こる。

しかし、少なくとも倫理的には、両者を同じものとして扱うべきではない。学習そのものを広く認めるとしても、正規の経路で公開された作品を使うこと、取得元を記録すること、明らかな海賊版サイトを除外することは、AI開発者に求められる最低限の責任だろう。

事前学習、追加学習、RAGは同じではない

「AI学習」という言葉も、実際には複数の利用方法を含んでいる。

多数の作品から一般的な言語能力や画像生成能力を身につける事前学習がある。その後、特定の用途や分野に合わせてモデルを調整する追加学習やファインチューニングがある。特定の作家の作品を使って絵柄や文章傾向を強く反映させるLoRAなどもある。そして、外部の文書データベースから必要な部分を検索し、その内容を回答へ利用するRAGがある。

これらは、すべてコンピューターが著作物を処理するという点では共通するが、目的も出力も異なる。

大量の作品から一般的な規則性を学ぶ事前学習では、個々の作品の表現を利用者へ提供することが目的ではない場合が多い。一方、特定の作品を再現するための追加学習では、その作品の表現を出力することが目的になり得る。RAGも、資料の存在を検索して短い情報を示すものと、データベース内の有料記事や書籍を長文で読めるようにするものでは、同じようには扱えない。

文化庁も、既存著作物の創作的表現を出力する目的のRAGや、特定のクリエイターの少数作品だけを用いた追加学習について、第30条の4が適用されない可能性を示している。また米国著作権局も、基盤モデルの事前学習、後続の追加学習、RAGなど、AI開発・提供の各段階における著作物の利用は、別々に検討する必要があるとしている。(bunka.go.jp)

「AI学習は合法か違法か」という問いだけでは、範囲が広すぎる。何を、どこから取得し、どの段階で、何のために利用し、何を出力するのかまで見なければ、意味のある答えにはならない。

日本、EU、米国では考え方が違う

AI学習に関する著作権の扱いは、世界共通ではない。

日本では、第30条の4によって、非享受目的の情報解析を比較的広く認めている。著作権者がウェブサイトに「AI学習禁止」と書いたからといって、それだけで第30条の4の適用が必ず失われるわけではない。

EUでは、テキスト・データマイニングのための複製について例外規定があるが、研究機関などによる科学研究目的の利用と、それ以外の利用を分けている。一般的なテキスト・データマイニングについては、適法にアクセスできる著作物であることに加え、権利者が機械可読な方法などで権利を明示的に留保していないことが条件とされている。いわゆるオプトアウトを制度上認める仕組みである。(eur-lex.europa.eu)

米国には、日本の第30条の4のようにAI学習を直接想定した包括的な規定はなく、フェアユースによって個別に判断される。米国著作権局は、AI開発の各段階や利用目的を分けて検討すべきだとし、海賊版や違法にアクセスした作品を含むデータセットと知りながら利用したことは、フェアユースに不利な要素になるという見解を示している。(copyright.gov)

したがって、「AI学習は世界的に合法である」とも、「AI学習は世界的に著作権侵害である」とも言えない。同じモデルでも、どの国で、どのデータを、どのような方法で利用したかによって評価が変わる。

学習を認めることと、何でも許すことは違う

私は、公表された作品を一般的なAI学習に使うことについては、原則として認めざるを得ないと考えている。作品を世に出すということは、他者に見られ、読まれ、影響を与え、そこから新しい技術や表現が生まれることを、完全には避けられなくする行為でもある。

著作者だけが、自分の成果物から新しい技術が学ぶことを拒否し、自分の仕事が代替される可能性を防げるとすれば、他の職業との間に大きな不均衡が生まれる。機械によって代替されてきたのは、製造業や運送業だけではない。翻訳、設計、印刷、写真、プログラミングなど、さまざまな仕事が新しい技術によって変化してきた。著作物を作る職業だけが、その変化を著作権によって止められるとは思わない。

ただし、学習を認めることと、取得方法を問わないことは違う。一般公開された作品を解析することと、パスワードを破って限定公開の作品を持ち出すことは違う。正規のウェブサイトから収集することと、海賊版と知りながら利用することも違う。多数の作品から一般的な特徴を学ぶことと、特定の作品をそのまま再現するために過学習させることも違う。

AI学習をめぐる議論で必要なのは、「学習されたくない」という感情を否定することでも、「学習なのだから全部自由だ」と言い切ることでもない。著作権が守るべき具体的な表現と、著作権では独占できない技法、規則性、知識、作風、職業を分けることである。

一般的な学習は広く認める。その代わり、データの取得元を記録し、アクセス制限や契約を尊重し、海賊版の利用を避け、特定作品の再現を防ぎ、出力されたものについて責任を負う。この組み合わせが、現実的な境界線ではないかと思う。

次回は、学習の中でも特に感情的な反発が強い、「作風は誰のものなのか」という問題を扱いたい。特定の作家名を入力して作品を生成すること、少数の作品からLoRAを作ること、人間による模倣とAIによる模倣に違いがあるのか、そして作風に著作権が認められないとしても本当に何をしてもよいのかを考える。

2026年8月7日 2:13 AM   投稿者: M.A.   カテゴリー: AI, 著作権

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